日本企業とアメリカ企業の市場展開の本質的な違いを知り、アメリカ進出に活かす。
アメリカ市場で販売を伸ばしているアメリカ人経営者と話をしますと、商品を市場投入するときの考え方が日本と根本的に異なることに気付かされます。
日本人からみると、なぜこのような商品開発段階で市場に投入するのか・・・といった思いも出てきますが、そのやり方がアメリカ市場で販売を拡大させてます。
本質的に欧米と日本の考え方が違うことを知り、アメリカ進出に活用する必要があります。
■アメリカ市場とは
アメリカのビジネスにおいて商品とは手作りレベルの規模ではなく、工場で生産される工業製品が中心です。アメリカは市場規模が大きいだけに大量生産品となります。生産能力が多ければ多いほど企業発展のチャンスを取りこぼさずにビジネス展開できます。
なぜこのようなチャンスが生まれるかというと市場規模が大きいためです。
アメリカのGDPは1国で、EUやアジア(日本を除く)と同等、それ以上の規模を有してます。日本と比較すると4倍以上の名目GDP差があります。
EUやアジアに販路開拓で進出すると、文化や市場が各国分かれていて、それぞれの国のカントリーリスクも異なります。
日本と同様のカントリーリスクAの国もあれば、CやDといった国もあり、それらが集まっても、米国(カントリーリスクA)1国と同じ規模です。
そのため、全国区の小売チェーン店に1商品入ると、アメリカ全国で販売されますので、EU全土で販売されるとの同じ規模となりますので、商品の生産量が多くないとビジネスチャンスが生まれません。
【3地域 2015年名目GDPとカントリーリスク一覧表】
■欧米型 市場投入の仕方
アメリカの市場投入の仕方を米国が建国される前のイギリスからみていきましょう。
産業革命以前の手工業が生産方法であった時代、イギリスでは手工業は農村部の副業として発生し成長してきました。
貴族や領主は、高級品をイタリアなどから輸入していたため、自国の副業から作られる手工業製品の要求品質は高くなく、製造された商品はいちど市場に流れて全国へ流通するため、「顔の見えない」マスとしての消費者を前提とした社会観があります。
産業革命においても本質は変わることなく、見えない大衆に向けての大量生産という、供給側主動経済システムでした。
価格メカニズムを用いて、市場向けの見えない購入者を前提とした、標準的な製品をつくることにおいては、イギリスは長い伝統があります。
このイギリスの流れを汲み、1国で巨大市場を持った米国では、特にそういった供給側主導の経済システムが発展しているように思われます。
良い品質を極めてから市場に投入するのではなく、見えない大衆に向けて標準的な製品を市場で試しながら販売するやり方が、米国人にとっての普通のやり方です。
■日本型 市場投入の仕方
では、日本はどういったやり方が普通であるのか?
こちらは、古代律令制(7世紀後半)まで遡りたいと思います。
律令制とは、土地と人民は王の支配に服属することを理念とする体制ですが、独裁的な王の支配化に人民が肩身狭く生活するような体制ではありません。
日本では、豪族の私有地を廃止して、中央による統一的な地方統治精度を創設する体制を導入しました。つまり身分と秩序の再編成を主に行いました。
それにより、ものづくりは特定の氏族が技術を世襲することが義務付けられ、貢納品の生産は職能別氏族制というシステムができました。
このことで、専門家技術集団の基礎が構築されて、その専門家技術集団は上層階級の特殊な需要に合わせて高級な手工業商品を生産しました。
そして、8世紀半ばには官営工房ができたことで、下級の技術官による手工業商品を製造する体制ができたことで、世襲によらない専門家技術集団へと移行しました。
金属部門では農具などの農民向け商品も製造されるようになり、各地方の統治エリアにおかれた官営工房の周りには、製鉄や鍛冶や大工など、私営的手工業経営も合わせて広がっていきました。
市場経済が構築される以前の当時において、官から民への一連の製造の流れは、上層階級の欲しい物を生産するために創り出されるという、特定需要主導型の経済システムが構築されました。
欧米の供給側(今でいう企業側)主導ではなく、需要側(今でいう顧客)主導の経済システムが日本ではこのころ生まれました。
その後、9世紀から10世紀初頭の平安時代中期には、律令制の理想と現実の乖離がでてきたため、政府は律令制の基本だった人別支配体制から、土地を対象に課税する支配体制へと移行させました。
これにより、土地支配者である荘園領主経済の時代になることで、手工業商品を創り出していた、官営工房主体のシステムから荘園主体の私営工房システムへと移行することとなりました。
11世紀に入ると、一方では貢納品の生産を行い、一方では独自の組織で生産をおこなう体制は、生産と営業活動を同時におこなう出職と居職がありました。
出職は地方の顧客の求めに応じてその場で出張生産する活動方式で、居職は消費者の求めに応じて注文生産する方式です。
労働市場の流動化は、需要主導型商品市場を全国規模に拡大させていき、12世紀には、官営工房の解体と私営工房化を確立し、同時に首都圏と地方を直接つなぐ全国規模での需要主導型経済システムを確立したと言えます。
今でいう、民間企業のシステムとなり、顧客の注文や要求に合わせて商品を作る、需要側主導の経済システムはこのころ確立されていきます。
南北朝・室町時代以後、荘園公領制が解体に向かい、戦国大名領国制に移行していきました。戦国大名が管轄する領国内の中心地である城下町経済圏を中心にして、自国内のみの自給自足経済を構築することは、規模が小さいこともあり不可能でありました。
このことで、京を中心とする首都圏と地方との直線的な遠隔地間交易だけでなく、地方経済圏同士を直接結ぶ隔地間交易ルートが構築されていきました。
この散在する経済圏の数多くの需要を、生産者に伝える重要な役割を果たしたのが商人です。
彼らは、専門職として自立して、営業圏のテリトリーを守りつつ、専門技術者集団と分業化して、散在する需要に対して商品を創り出していきました。
そのことで、手工業製造に専念できるようになり、商人が各地で得たより専門性の高い商品の需要に応えるために、専門技術者集団はより高度な技術を磨き、需要に応えるように製造していきました。
商人は高い士気を持ち各地の需要と製造を結び、16世紀には堺や博多を中心とする商人が東アジア経済圏で海外交易にも活躍しはじめました。
商人と技術者の分業化は、なお一層、品質や精度にこだわってモノづくりに専念できるようになってゆき、商人はより各地域の顧客ニーズを掴むことに専念できるようになりました。
その後の江戸時代では、鎖国制度に伴い海外交易は抑圧的になり商人の士気を低下させたものの、ものづくりの伝統において商人と生産者は情報をやりとりするという需要主導型経済システムは変わらず、明治になって抑圧が緩むと同時に、世界市場へと飛躍していきました。
現在でも、この需要側主導の商品作りという資質が、日本人の心にしみ込んでおります。
■アメリカ市場における日本人の弱みと強み
では、現在のアメリカ市場において日本の商品展開はどういった状況であるのかといいますと、日本人の強みである需要主導側が実施されてないように見えます。
これはどういうことかといいますと、アメリカ人の需要を把握して商品作りがされているものが少ない状況であると思えるからです。
アメリカ人顧客のニーズを掴み、商品を企画して、商品を開発して、品質の良い商品を製造して、根気強い営業が市場を開拓して、商品が市民に届けられる。という日本の強みのある手法を用いた商品展開が実施できていない日本企業が多くあるためです。
和風が売れるという思考だけでは、アメリカ進出におけるビジネスとして永続しなく短絡的な方法となります。
アメリカ人の生活空間や食生活など文化を把握し、商品をアメリカ人の需要に合わせることができれば、日本企業の商品は米国市場に必ず展開されると考えます。
それなのに、日本人に合わせた商品を、パッケージなどを英語にしただけで、営業力でアメリカ市場に投入させようとしている日本企業が多くみられます。
そしてその英語のパッケージすら米国人を活用せず、アメリカ文化を把握していない日本人デザイナーが実施している企業もあります。
商人と工業を分業化させてきた日本人伝統芸のモノづくり手法を考慮すれば、アメリカ人の商人の意見を聞いて、アメリカ人商人を巻き込み、アメリカ市場に合わせて商品を創ることもできます。
それすら実施していない企業が見られます。
欧米型の市場投入して確かめるという手法も、日本は品質や機能が良すぎて価格が合わないという弱みになっています。
イタリアのようにブランド力があれば、そこそこ高価な価格で米国でも売れるのですが、日本の商品は価格面をカバーできるほどのブランド価値がないのも現状です。
それならいっそのこと、そこそこの機能と品質で市場で試すという欧米型のやり方を徹底すれば、アメリカ企業と同じ土俵に立てます。
アメリカ市場は商品に粗悪な部分があっても許容してくれる市場でもあります。
市場でもまれながら商品を良いものに改良していきながら、販売量を拡大してゆくやり方も通用します。
改善と改良は日本人と最も得意とする分野と考えます。
それすら実施されていない日本商品もあります。
日本人の海外へ商品展開する商人と工業は昔から強みがあり、その頑張りから現在でも輸出総額は77兆円近くあります。これはオランダの名目GDPに匹敵するほどの金額です。
海外ビジネスにおいて、やり方を考えて工夫することが重要と考えます。
価格を下げるだけの手法では、アメリカ進出でビジネスを永続させるのは困難になります。
知恵と工夫と改善という日本人の強みを最大限活用すると、アメリカ進出において市場で強みを発揮するものと信じてます。
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